「柘植久慶」氏です。
みなさん、こんにちわ。水の心です。
今日は「柘植久慶」氏です。
1980年代、軍事書籍から突如現れた柘植氏は、私と同年代の方に、印象深く記憶されていると思います。
慶応大学在学中、アフリカに飛び、コンゴ動乱で傭兵デビューし4か月間過ごし、
その傭兵仲間のツテを頼り、仏外人部隊に中尉待遇の格闘技教官として5か月在籍、その後、大学卒業、民間の会社員となり、
第二次インドシナ戦争で、ラオス王国軍、格闘技教官になり、米軍とも接触、13回実戦に参加した経歴があります。
こう見ると、かなり緻密に人生を設計された方だ、と思います。
単なる、冒険家、戦争屋という感じでは無く、期間を区切って軍隊へ参加し、
自分の力試しと、理論の実践と完成を目的として、
経験を積み重ねている様に思います。
柘植氏は、理知的で、感情的というより、理系の精密さを感じます。
そして、ご本人がおっしゃるように、その生まれながらの体力の強さが、海外での体験の原動力なのだ、と思いました。
著作に「格闘技教官」と書いてあり、この武道をやられている、と明言はないのですが、書かれている格闘マニュアルには、細かいところまで考えてあり、どんな手を使ってでも、勝機に繋げるように書いてあります。
「身近なもので防戦する」とあると、
イスに始まり、食器、油、うどん粉、コショウ、熱湯、金づち等、
あらゆる物で、賊に対抗する方法が書いてあり、その飽く事の無い、着想力には本当に驚いてしまいます。
世界政治、軍事分析家、軍事小説家、外人部隊の第一人者、と肩書にありますが、
正規軍将校の雰囲気とは違うと思うし、その型破りな所、自由さから傭兵隊長、
または、革命家に近いのかな?と色々当てはめましたが、
やっぱりミステリアスな過去を持つ、外人部隊の隊長が一番しっくりきました。
1980年代、映画「地獄の黙示録」がなぜか再燃しました。
雑誌「コンバット・マガジン」は、ヴェトナム特集を組み、
ワールドフォトプレス社からはベトナム戦争本も出たり、
また小説家、開高健氏も脚光を浴びており、名著「輝ける闇」という米軍従軍小説なども、身近にありました。
また市場では「ベ戦」当時の、米軍1956装備や、期限切れですがグリーンの缶詰レーション等を手に入れる事が出来ました。
現在では、1956年規格の綿製の米軍装備は、品薄で、高値が付いています。
ちょうど80年代に、米軍の装備の規格が変わり、綿製からナイロン製に変更が始まっていました。
私は、装備、銃器の方面から、戦争を見ていくという、あまりよろしくない見方なのですが、そこからも、柘植氏の書いている、インドシナ戦争、ヴェトナム戦争に、大変引き込まれていきました。
柘植氏は、その特殊な肩書からTV出演も多く、
NHK、たけしのTVタックルなど、独特の声で話される、柘植氏を見る機会がありました。
「TVタックル」では、番組の冒頭で、
「横断歩道を渡っていた時、車が止まらず、足にぶつかってきた。頭に来たので、爪先で、車のライトを割ってやりましたよ」と、これまた強烈な話をされていました。
TVで見る柘植氏の眼光は鋭く、平和な日本に完全に向いていません。
いつも臨戦態勢というような雰囲気です。あの眼力を真似する事はとてもできません。
ナギナタ対刀など、違った武器によって、どのような勝負になるか、解説をされていた様に思います。
そして、1996年、柘植氏原作の映画「最後の弾丸」がNHKで放映されました。
かなりの良作だと思います。
内容は、1945年インドネシアの港湾都市バリクパパンのジャングル中での、日本兵とオーストラリア新兵の死闘です。
劇中、日本兵の遺骸を見つけたオーストラリア兵の小隊ですが、
その遺骸の下に、手榴弾による仕掛け爆弾を発見したりするところに、ニヤリとしたり、主演の歌手「玉置浩二」氏の好演や、ヒューマニズムあふれる展開になっていて、メディアに大きく取り上げられはしませんでしたが、見ごたえのある作品でした。
そして、劇場版パトレイバー2での重要キャラクター「柘植行人」と、今までになかったキャラクターの元になりました。
しばらくして、米軍グリーンベレー大尉待遇という肩書が災いし、米軍関係者OBから非難を浴び、デビューからのファンは、とても残念な気持ちになりました。
それから年月は経ち、少し前「ふたばちゃんねる」において、
日本人の現役仏外人部隊員のサイトが載っており、
そこで柘植氏の疑惑について、一般の方から質問があったのを見ました。
現役隊員の回答として「柘植氏の在籍を確認した」
「その時代、日本人は、まだ誰も外人部隊におらず、そこに一人で入った事は、驚くべき事だ」
という風に書かれており、柘植氏の外人部隊在籍について名誉は保たれ、私は安堵し納得しました。
私が、20年以上前、メンテ系の仕事に就いた時、
「友人が、ベトナム戦争に行ったよ」という人が会社にいました。
「機関銃で車を撃つと、簡単にひっくり返るんだ」
そして
「ジャングルの中で、陣地を作って、ズーッと外人たちと飯食って寝泊まりしてて、そこに敵が通りがかったら、攻撃をするんだってさ」
「ドイツ人が、物凄くデカいナイフを持ってて、これを投げるんだって」
「その友人は無事帰ってきたけど、映画キリングフィールド(1984年)を観に行ったら、発作が起きたんだって」
と教えてくれました。
国内外の法律上、公には出せないけれど、国外の戦闘に参加する日本人達は多くいた様です。
なので、柘植氏も、ヴェトナム時代の後半はそうなのか?と思ったりしました。
なんにしても、腕の1本2本は無くなる様な、致命的に危険な選択です。
最近では、安全な日本から危険な日本へと変貌し、水と安全は高いものだと皆が気が付き始めました。
柘植氏の作品を、冒険ロマン小説と思っていたら、俄然現実味が出てしまい、本当に嫌な時代になったと実感します。困ったものです。
まとまりが無くなりましたが、若い時のあこがれだった柘植氏には、これからも長く健康でいらしてほしい、と思います。
それでは、また次の更新まで!