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「空のよもやま物語 空の男のアラカルト」です。

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

今日は光人社NF文庫1997年「わち さんぺい」著

「空のよもやま物語 空の男のアラカルト」です。

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 著者の「わち さんぺい」氏は、広島県出身。

山梨航空学校から陸軍航空審査部の偵察隊に軍属として参加。整備審査業務に従事し、戦後は漫画家として活躍されました。

 

 なんだか難しいので、読んでわかった範囲で言うと「わち」氏は、16歳から19歳終戦までの時期を「偵察機」の運用、機体の改良、強度、部品、燃料、搭乗員の運用、それら全ての試験と審査を行っていた部隊で、整備員として勤務していました。

 

 その時、目撃し体験した、戦争と青春の思い出を、自作のイラストと共につづったのが、このエッセイ集となります。

 

 わち氏は、整備員として正式に教育を受け、当時日本で航空機という最先端技術を持つ陸軍航空隊で勤務していました。

この本でわかるのは、その最先端技術だったレシプロ飛行機を、生涯わち氏が愛していた、という事です。

 

 徴兵された軍隊生活で四苦八苦というものが多い「よもやま本」の中で、秀才整備士少年が、自分の好きな飛行機について楽しくノビノビ書いている感じがします。

 

そして漫画家だけに、描かれているイラストは、非常にわかりやすく、楽しい物になっています。

 

  私ごとですが、一時期エンジンメンテの仕事をしましたが、知識が無く、あまりの難しさに教本を数冊買いこんで読んで勉強していました。仕事中イチイチやり方を聞くのは邪魔になるので、こちらの仕事が済んだら、後斜め45度から観察して「見て憶えろ」という厳しい徒弟職人の世界でした。

 

 高く青い大空を、意のままに機体を操り、宙返りや、急上昇に急降下、ひねって一回転など、小学生の頃から、スマートなレシプロ戦闘機に乗ってみたい、という気持ちが強くあります。

それがすっかりオジサンになって、仕事に関わる事によって、単なる飛行願望から、整備の知識も少しわかり、結果この「空のよもやま物語」を深く読む事が出来ました。

 多分、その仕事の時期とかぶって購入したのかも知れません。

 

 そんな本の中で、驚いた事や心に残ったエピソードが

 「油虫なかせ」

飛行が終わって着陸し、エンジンを止め、整備員(油虫)が整備をするのですが「日本の軍用機で、油汗をたらさないエンジンは、ほとんど皆無ー。」

とわち氏は書かれています。

 

 油汗とは、オイル漏れの事だと思います。

それが、エンジンから、エンジンカバー、機体の下を伝って、尾輪まで!ビットリだそうで、それを拭いてキレイにするのにガソリンを使っていたそうです。

 

 現代でも、清掃用で灯油やホワイトガソリンを使っているそうですが、飛んで帰ってきた熱々のエンジンにガソリンをかけて油汗を落とし、オイル漏れ箇所を探す、とありました。

 その清掃に使うガソリン使用量も、全軍だと半端でなかったろう、とわち氏は推測されています。

 

 日本機は、エンジンのパーツを組み合わせる時のパッキン、ガスケットに「紙」を使っていた。

鹵獲した米軍機を見分した時、メタルガスケットという手の込んだパッキンを使っていて、油漏れが全く無く、非常にキレイなエンジンだったそうで、しかも部品を定期交換している様だった、と感想を残しています。

 

なんとも色々残念な話ですが、他の本には載っていなかった、初めて読んだエピソードで、衝撃を受けました。

何事も「現場の生の声」というのは迫力があります。

 

 「憲兵隊さわぎ」

整備班の中で、お客さんの時計が紛失する事があり、犯人はすぐにわかったが、憲兵隊まで話がいき、そのとばっちりで、わち少年は恐ろしい思いと、つらい思いをします。

 紛失の解決から三日後。

帰宅すると、下宿に憲兵が入り、いわゆる家宅捜索をし、部屋中を酷く荒らして引き上げていました。

仕事に使う「陸軍航空機整備要領」と「日記」がなくなっており、翌日憲兵隊に出頭。そこで、仲間が痛めつけられているのを隣の部屋で聞きます。

 

 そして、当時淡い恋心を通い合わせていた最初の下宿先の「K子」ちゃんへの想いを「日記」につづっていたのですが、それを憲兵に見つかり、ネチネチ言われ、更に「K子」ちゃんも、後日呼び出しを受けた、とありました。

 

「権力をカサに着たドロボーだと思った。」とわち氏は書かれています。

 

 いつも不思議に思うのは、戦後、嫌な思いをした人々は、合法非合法にかかわらず「お返し」をしなかったのでしょうか。

 

兵隊間での、終戦時の刃傷沙汰等は記述が結構あります。

国が、国民を抑圧し強制する為に使った機関を、戦後断罪出来たのだろうか。

当時の人の恨みは聞いています。

苦しい思いをした人は、その裏でイイ思いをした人がいた事も知っています。

 

 戦争は一種の祭りで、皆が熱狂していた。

現代から、否定をすることは出来ても、当時それを止めることは、誰にも出来なかった、と読んだことがあります。

 

 ですが、戦争が終った時「国民による総括」をしなかったのは未来への大失敗だったのではないか?

戦争を生き延び、昔とは形を変えてはいるが、国民不在のまま、ますます強固に補強されているのではないか?

民主主義の定着や、国家運営は最初から無理だったのではないか?と思ってしまいます。

 

 「陸軍の空母」

戦況の悪化から、敵潜水艦から輸送船団の防御の為に、キ76指揮連絡機を積んで陸軍独自の空母を運用しようと計画されます。

 

 連絡の為、追浜の海軍飛行隊に同行した、わち氏は、海軍の「震電」「強風」「零戦」「一色陸攻」「連山」を興味深く観察する事が出来ました。

そして福生の基地に戻るとスケッチにそれらを描きます。

戦後37年(本書執筆時)経たが、今でも手が憶えていて何も見ずに描ける、と天性の特技を書かれています。

 

 「つばさ会」

戦後37年経ち、終戦時時間を開けず帰郷したわち氏は、あのK子ちゃんと再会。その後何回か電話をかけ、K子ちゃんが電話口で詠う詩吟を聞きながら、二人の青春時代の楽しかったり、つらかったり、切なかったり、色々な想いが、押し寄せるところで本は終了します。

 色んな立場で色んな人間が大東亜戦争に参加。当時日本の人口7300万人弱。大きな戦争の影で、老若男女多くの想いがありました。

 この本は、わち少年の冒険譚の様でもあるし、青春物語でもあるし、何よりわち氏の感性が豊かな事を知る事が出来ます。

飛行機好きな諸兄にも読んでいただきたい一冊です。

それでは、また次の更新まで!