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チャレンジなので。懐古中年、Gose on!

無職を続ける、好き嫌いの激しい中年が、メインブログの裏で、こっそりチャレンジを続けて行くブログ。

「映画Platoon 裏話」その1です。

 みなさん、こんにちわ。水の心です。

今日は「映画Platoon 裏話」その1です。

1987年に日本公開された、みなさんご存じのこの映画は、今までとは一味違う戦争映画です。

当時の半券も出て来ました。

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 本作は、世間でかなり話題になり、小説版も購入したり、サントラもカセットテープ版を友人からもらった記憶があります。

ちなみに映画サントラの内容は「アダージョ・フォー・ストリングス」と1960~70年代の米国流行歌が入った短いものでした。

 

 封切時、学生だった私も、戦争映画の好きな友人と観に行き、そこで衝撃を受けました。

 

 戦場のあまりのリアルな内容にクラクラし、繁華街にある公園で一服していたところ、目の前で歩行者のお兄ちゃん同士の喧嘩が始まり、警官が遅れて到着という出来事もあり、その日は一日衝撃的だったのを憶えています。

 

 1975年のヴェトナムからの米国完全撤退から、南ヴェトナムの崩壊、ヴェトナム人同士の戦乱、帰還兵のヴェトナム症候群、本土でのマリファナの蔓延、マスメディアによる茶の間で見る戦争、ヒッピー文化など、米国はこの戦争によって修復不能な、多くの影響を受けたと思います。

 

 後方支援の基地となった日本でも、医療、経済、人間等いろんな形で影響があったと思います。

80年代の「コンバット・マガジン」には、東京の軍装品店に、特殊部隊など兵隊達が、装備、ローカルメイドの迷彩服、衣類、パッチ等を製作、購入に来ていた事が書かれていました。Japanese Madeのタイガーストライプ迷彩が解析されていた記事があったと思います。

 

 今回は、そんな「プラトーン」の製作裏話です。

 

 この映画は、陸軍歩兵としてヴェトナムに従軍した監督の、個人的な経験から引き出され作られたもので、1968年のジョン・ウェイン主演の映画「グリーン・ベレー」での間違った描写に対抗するパートを、監督は帰還後すぐに書き始めました。

 

 1971年に原案を書き上げた監督は、当初、ロックバンド「ドアーズ」のVo「ジム・モリソン」に演じてもらう為、その原案をジムの元に送っていました。

パリでジムが亡くなっていたのが発見された時、そこにその原案はあったそうです。ですが、もしジムが存命でも出演したかどうかは不明です。

監督はその後、ジムの人生をベースにした1991年の映画「The Doors」を製作しています。

 

 この映画で監督は、ヴェトナム戦争についてメジャーな映像監督となった初の帰還兵となりました。(監督のオリバー・ストーン氏自身は、1978年の「ミッドナイトエクスプレス」でアカデミー脚色賞を既に受賞)

 

 DVDコメンタリーによると、クリスが村で少女を暴行から救うシーンは、監督がヴェトナムの村人の攻撃に介入した際の出来事を下敷きにしています。

 

 トム・ベレンジャーウィレム・デフォーは相反する者を意図して配役。

当時、ハリウッドで一番「いいヤツ」を演じていたトムに、無常冷徹なバーンズ軍曹。

一方もっぱら悪役を演じていたウィレムに慈悲深いエリアス軍曹。
これが功を為し、2人共本作の演技でオスカーノミネーションを受ける事になりました。

 

 本作でアカデミー編集賞を受賞したクレア・シンプソンは、フィルム編集の傍ら

サミュエル・バーバーの「アダージョ・オブ・ストリングス」を劇中多くの感動的な映像のBGMに使用するようオリバーストーンに提案しました。

 

 米国防総省は、本作の製作協力を拒否。軍の装備品等はフィリッピン国軍から貸してもらう事になりました。

 

 元々エリアス役は、ネイティブ・アメリカンの俳優を探していたが、うまくいかず、代わりにウイレム・デフォーを配役。

その為、いくつかのシーンでは、本来のアイディアであるエリアスを表現するネイティブ・アメリカンの「精神の石」が反映され、映像に残っています。

 

 監督は映画終了の前に、本物のRPGをぶっ放したそうで、効果的にリアリズムが増しました。

 

 配役を回想した際、監督は、歌手「クリス・クリストファーソン」がエリアス役に適任と思ってたそうです。

彼はリアルな人生の中でもエリアスに似ており、軍歴ではエアボーンのヘリパイとレンジャー訓練を経験していました。

しかし監督は採用を断念。

なぜならクリスは年をとり過ぎていたし、1978年の映画「コンヴォイ」からヒット作を持っていなかったせいです。

 

 本作は低予算での製作だったので、撮影監督のロバート・リチャードソンは、手抜き撮影をせざるを得ませんでした。

その後DVDが発売される事になり、以前は想像するしかなかった色調の調整をする事が可能になりました。

 

 監督は、登山でしか辿りつけない映画冒頭の丘のシーンの撮影時、そのロケ地で野営しないか?とキャストとクルーに提案した所、みな同意。

が、その夜、丘を登り一日の仕事が終了すると、全員野営は無理!とばかりにスタコラ走って谷へと下って行きました。

 

 両手を宙に掲げるエリアスを描いたポスターは「アート グリーンスプーン」の1968年の写真の再現となりました。(両手を挙げる、ヘリ待ちの米兵が写る有名な報道写真)

その報道写真は米国の「陸軍、海軍、空軍タイム」2000年9月号で、13大、軍事写真として認知されています。

 

 撮影前フィリッピンにおいて、全ての俳優はキツイ軍事教練を集中的に2週間受けたが、そこでは俳優たちの役柄そのままで生活をさせました。

俳優間の一体感を無くさせ、一つの「個」として演技させ、睡眠不足にし、クタクタに疲れさせ、役にそって燃え尽きる様にしたかった監督の意図が、そこにあったそうです。

 

 そして、戦争当事国ヴェトナムでは、劇中のヴェトナム人の描写により上映禁止が決定。
 

引き続き「映画Platoon 裏話」その2です。 - チャレンジなので。懐古中年、Gose on!続きます。

それでは、次の更新まで!